13日は金曜日 PART25/ジャクソン倫敦へ

「13日は金曜日 PART25/ジャクソン倫敦へ」(原題:HAND OF DEATH)
制作国:イギリス 1989年 監督:アンダース・パーム



元ネタの「13金パート8」とのジャケ並べ。画像は拾い物です、すんません(^ω^:)



人を殺すなんてそもそも悪いことなのだから殺人なんてしたくないと語るジャクソン。素顔の彼は思いやりもあり、文学に長けた常識人なのですが・・・。



生粋の殺人鬼である彼は、結局人殺しをし続けなければならない自身の運命に落胆してしまいます。


ホッケーマスクを着けた殺人鬼ジャクソンがセックスと酒に溺れるティーンエイジャーを殺害するという80年代定番のスラッシャームービー。言うまでもなく「13日の金曜日」のパロディ映画である。

ビデオが始まるとジャクソンは例によって怪物的な力で容赦なく若者たちを殺害する。貫き手で心臓を抉り出したり、セックス中のカップルが身体を重ねて絡み合ってる時に2人まとめて串刺してみたり、側頭部を手で押さえて万力のように押し潰してみたりと、その殺害方法もオリジナルの13金ファンなら「おっ!?」と思うようなオマージュが多く見られるが、この作品はジャクソンがパーティー会場で出会った盲目の女性シェリーと恋仲になるところから急展開を迎える。

彼女との交流の中で、本来のジャクソンは中世の詩や文学を好む優しい好青年であることが解り、本心では殺人など行いたくないのだということが語られる。しかし映画の性質上、自分は殺人鬼として殺人を行わなければならず、同時に殺される被害者たちも映画の設定に沿って殺害される運命なのであり、結局のところ彼は本来の姿である殺人鬼の役割を果たさなければならないのだ。

ジャクソンがこう語った瞬間から、この映画は実はメタフィクションなのだと発覚する。描いているのは殺人鬼としての運命に苦悩するジャクソンの葛藤と、パロディを通した13日の金曜日を始めとする定番の決まりきったスラッシャー映画への皮肉である。

僕、この映画本当に好きなんです。本当は文学作品に憧れているのに、スラッシャー映画の殺人鬼を演じ続けなければならず、理想とはかけ離れた自分の姿に嘆くジャクソンの人間味のある姿が味わい深くて実にイイ。「僕の前に続く道は、明かりに灯されてはいるけれど、僕の歩きたい道じゃあない。僕はまだ―――。」こんなに感情移入出来るスラッシャー映画の殺人鬼なんて他にいないよ(^ω^;)

また、単なる凡庸なパロディで終わらずに、メタフィクションとして作品を位置付けているところも非常に面白い試みである。他にホラー、スラッシャー映画のオマージュやパロディを扱った作品といえば「スクリーム」とか「キャビン」なんてのもあったけど、ある意味でそんな作品群の先駆け的なところも興味深いところだね。ゴア描写も割とちゃんとしてるし、普通に見てて満足出来るクオリティだ。

どうして僕は生まれてきたんだろう・・・生きていることが辛い・・・そんなジャクソンの自身の運命に葛藤する人間味のある姿が感慨深く感じられて、どこか人に優しくしたい気持ちになれる気がするんだね。

「死ねばいいのに!死ねばいいのに!もうなんでもいいから死んじゃってッー!ファックユー!」・・・なんて、ひたすら過激さを求めた血濡れな映画にちょっと疲れたなって人に見てもらいたいビデオかな。



無意味に量産されるB級スラッシャーシリーズの宿命から逃れられないジャクソン。本当はシェイクスピアがやりたいのに・・・。頭を抱える姿に哀愁を感じます(^∀^;)




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