ねこっちゃの聞いた怖い話


「文化大革命の食人の話」



 


批判大会で紅衛兵に髪の毛を切られながら自己批判を強要される男性。



自己批判中にリンチに遭い負傷した女性だろうか…吊し上げられた多くの人々は殺害された。



毛沢東語録を読む紅衛兵の若者たち。文化大革命時には教師は反革命分子として多くが殺害された為、学校は破綻し、当時の若者は教育を受けていない者も多いという。



燃やされる仏像。文化大革命時には古い文化、古い風習、宗教などは革命的ではないとして多くの貴重な文化財が破壊された。
  みなさんは文化大革命についてご存じだろうか。

私自身、文化大革命というのは学校の授業で聞いた事だけはある程度で、具体的にどういった内容のものなのかまでは詳しくは知らなかったのだが、ある日ネットで都市伝説を検索していると文化大革命の体験談が書かれたものを見つけ、ちょうどANTIFAやBLMのデモ暴動の報道の際にコメンテーターが「文化大革命みたい」と例えていたことからも興味が沸いて読んでみた。

それはある日本人女性がアメリカで出会った中国出身の老人から聞いたという文化大革命当時の実際の体験談を綴ったものだった。

その日本人女性は出張先での仕事が済み、食事の為レストランに入店した。すると一人の老人が話しかけてきた。老人は数十年前にある事件をきっかけに中国から亡命してきたという。

その事件こそが文化大革命時の中国で体験した、非常に生々しく恐ろしい老人の体験談だった。

当時、老人は中国内でも田舎町の方に住んでおり靴屋を経営しながら家族と暮らしていたという。文化大革命という話を伝え聞いた当初は特に何も生活に影響はなかったが、次第に"反革命的"という言葉を耳にするようなってきてから状況が変わっていった。

紅衛兵と呼ばれる中学生、高校生ほどの若者を中心とした毛沢東信者の私兵集団が来てから、周りにいる人々が連行されるようなった。町にあったお寺の僧侶が連行されたのを皮切りに、近所の教師や医者や金持ち、政府に批判的な人など、いわゆる知識人と呼ばれる人々が次々と連行されていなくなり、そのまま戻ってくることはなかったというのだ。そして、ついにはそれらとは全く関係の無い一般人も次々と連行され始めた。

老人には何が起きているのかわからず、ただただ恐ろしく自分達の身にこの不幸が降りかからないよう身を潜めるしかなかったという。そんな時、老人は店に来た客からある噂を聞いた。

「どうも連行された人達は子供たちに密告された結果らしい。子供たちは自分の親や学校の教師ですら躊躇無く“密告”している」

小さな田舎町に住む子供たちは老人も知っている子が多く、親と共に自分の店に靴を買いに来たこともある。そんなごく普通の子供たちが、自分の親や教師を密告しているという話はあまりにも現実離れしていているように思えたが、しかしついに老人もその事実を信じざるをえなくなる事件が起きる。

その日、共産党からの命令で老人は、ある学校に生徒用の靴を納入しに行く事になった。老人が荷車に靴を載せて学校につくと、学校の裏庭から何かを調理する良い匂いがしてきたので、老人は荷物を係りの人に渡すと何気に裏庭に回ってみたのだという。

そして、そこで老人は信じられない光景を目にした。

そこにあったのは、うず高く積み上げられた死体と、嬉しそうにそれらを解体し調理する子供たちの姿と、無表情に子供たちにあれこれと指示を出す地元の共産党員の姿だった。

死体の中には、老人のよく知っている医者の姿もあったらしい。

老人はその場を離れると、その場では何事も無かったかのように振る舞い学校から逃げ出した。家に帰ると老人はなけなしの蓄えをかき集め、奥さんには殆ど事情も話さず夜逃げの準備をさせ、その日のうちに町から逃げ出した。そしてアメリカに移民したのだという。こうした事件は当時中国全土で起きていたらしいというのだ。

その時、大人たちを解体し、食べていた子供達の大半は紅衛兵となり、その後地方へ追放されたらしいが、共産党に従順だった子供たちは出世を重ね、いずれ共産党の幹部として国を動かす立場になるだろう。人としての第一線を超えてしまったやつらが国を動かす事になるのだ。あいつらを信じてはいけない、あいつらは悪魔だ。

老人は最後にそう語り去っていったそうだ。

実際に調べてみると文化大革命時に発生した広西虐殺、内モンゴル人民革命党粛清事件などにおいて食人事件が多数報告されている。

1968年には、中学校の生徒たちが地理の講師を殴り殺した後、遺体を川辺に運び、別の教師に強要して心臓と肝臓を取り出させる事件があったそうだ。学校に戻った生徒たちは臓器を焼いて食べたという記録が実際に残っている。

またモンゴル人やチベット人などは少数民族というだけで反革命的とされ、街を歩いているだけでリンチに遭い殺された。また妊婦は胎内に腕を突っ込まれて赤子を引きずり出され殺されたそうだ。

文革中に行われた批判大会において、反革命的として吊し上げられた後に殺害された人は、野次馬として観覧していた群衆に取り囲まれ、包丁やナイフで肉を削ぎ取られ食されたという。

日本が高度経済成長期だった1960年代から1970年代頃、片や隣の国ではこのような事が起きていたとはと戦慄を覚える内容だった。



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